海外を飛び回る仕事(出張・駐在)へ転職:転職後の苦難

スキルアップ
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こんにちは、Naruです(プロフィールはこちら)です。

大学のころに海外に関係する仕事がしたい、できれば海外で働きたいという想いが強かったので、意を決して転職活動をして、2019年にはアメリカ駐在の夢を実現しました。

しかしながら、転職していきなり駐在になったわけではありません。

\ この記事で分かること /

・海外で働きたい夢をもって転職したが、最初はかなり英語で苦労したという話
・苦労の中でロールモデルを見つけたという話

僕は、完全に国内中心の企業に16年務めたのちに、海外中心の会社に転職しました。

転職前の僕のTOEICの点数は、805点(2003年)でした。

前職ではずっと日本国内の仕事しかしていなかったですが、なんとかなる!と思って海外中心の職場に入り込みました。

海外とのやり取りが中心の職場

転職した僕の勤務地は、東京駅の目の前のビルです。

この会社は、売上の8割が日本以外の国で挙げており、グローバル企業と聞いてましたが、本社の人はほとんど日本人しかいませんでした。

不安と残念な気持ちとが混在しながら最初の数日を過ごしました。

しかしすぐに分かったことがあります。

確かに本社内のコミュニケーションは日本語ですが、海外販売会社とのやり取りは英語であり、その量は膨大だった、ということです。

今思い出すと、中々面白いですが、以下のような状況です。

上司
上司

水曜日のアメリカとの会議の事前資料読んどいてください。(パワポ30ページ、英語)

先輩
先輩

ドイツの先月の業績について、役員から質問されています。

月次レポート(大量の英語)を読んで意見ください。

ドイツ側の相手は、○○さんです。質問や会議は直接してください。

今だから言えますが(言えないか。。)、ほぼ毎日、朝から晩まで、家に帰ってからもずーっと辞書を引いて意味を理解して、資料を作ってということを繰り返していました。

とにかく人より何時間も多く使わないとついていけませんでした。

当時の筆者
当時の筆者

読み書きは、時間さえかければ何とか理解できる。
しかし、電話会議は正直、相手の言っていることがほとんど理解できない。。。

これはまずい。。。

入社して2週間後のシンガポールとの会議(最悪)

そんな状態で、入社して2週間後にシンガポールの担当者との電話会議は僕が仕切ることになりました。

あの時のことは今でも覚えています。

当時の筆者
当時の筆者

相手の言っていることが聞き取れなかったら議論にならない。。。
資料を念入りに準備して、議論というよりも、YesかNoかの合意を取りに行く作戦で行こう。

これは、英語でほとんど議論にならないと予想していたので、せめて絵を見せながら議論(もどき)を交わして、最後は予め用意した選択肢を選んでいくという作戦でした。

はっきりいって結果は覚えていません。

ものすごい緊張して、汗をかいていたことは覚えています。

欧米人と対等に話す上司がまぶしかった

最初のうちはこんな状態で、恐ろしいほどに英語のキャッチアップに時間を費やしていました。

僕にとって、本当に幸いだったのは、当時の上司が素晴らしい人だったということです。

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何が素晴らしかったかというと、

・とにかく英語がペラペラ(TOEICはほぼ満点)
・相手の言っていることを、”あなたの言ったことはこうだよね?”と必ず確認してくれる
→おかげで聞き取れないことも、上司の英語でキャッチアップができた。
極めてロジカル。欧米人に対してもロジックが違えばはっきりと”No”という人だった
・僕の強み(IT業界の経験値)を相手にアピールしてくれる。逆に言うと英語力の無さはカバーしてくれていた、ということ
この上司には、欧米の同僚からしょっちゅう国際電話がかかってきてました。
相手側からよく何かを一緒にやろうという提案をしてこられたりということもあり、本当にまぶしかったです。
相手側もその上司を信頼して頼ってきているのが非常に良くわかりました。

上司の欧米的立ち回り

この上司が一番まぶしかったのは、アメリカで行った、あるワークショップの手ほどきです。

欧州各国からも代表者を呼んで、グローバルのメンバーでのワークショップをアメリカで開いたのですが、この上司は、欧米流の議論中心のワークショップをやっていました。

欧米流=正真正銘の議論中心の会議

入社してから数々の本社主催のワークショップに参加しましたが、プレゼン合戦で議論が少ないものを何度も目にしてきました。

この上司は、プレゼン合戦は最低限にして、徹底した議論とその場での、合意事項の図式化を行っていました。

これは本当にまぶしかったですし、心の底から”いつかこの人のようになりたい”と思いました。

当時の筆者
当時の筆者

いつかこの人のようになりたい。

まとめ

海外で働きたいという夢をいだいて転職をしましたが、最初は自分の英語が役に立たず、本当に苦労しました。

その中で、目指すべき自分の将来像を目の前に見つけることができました。

それは直属の上司でした。

最終的には、4年後にアメリカへの駐在を果たします。

これに関しては、こちらの記事で記載しておりますので、参考にしていただければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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